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第12話 「野生の象」

 
「病気になったらボツワナへ!?」
ガイドブックにはそんな風に書かれている。実際、病院での医療費はタダではないようだが、先進国に近い社会福祉制度を持ち、貧国というカテゴリーから離脱しているのが、僕たちにとっての三カ国目にあたるボツワナ共和国である。ダイヤモンドや銅などの鉱産資源を豊富に埋蔵している一方で、人口が極端に少ないこともあり、一人あたりのGDP(国内総生産)は、セイシェル、モーリシャスなどの島国を除くアフリカ大陸五十数カ国のなかでトップを誇っている国である。物価は日本と同じくらい高く、缶ジュースは1本なんとUS$1、ホテルは素泊まりでUS$30〜US$50と貧乏旅行者にはつらい。英国から独立以来大きな内戦もなく、アフリカの目指すべくモデル国家として賞賛されてきた。そんなボツワナに入国したのは、2001年7月2日のことだった。
 
「お前たち、ライオンや象などのワイルドアニマルは怖くないのかい?ボツワナにはありとあらゆるところにライオンや象がいるから気をつけなさい。あなたたちのような自転車乗りが、ライオンや象に襲われて大怪我を負ったという話をよく聞くわ。グッドラック!」

国境でイミグレーションのおばさんが、パスポートに入国スタンプを押しながらこう言った。いまさら自転車で行くことを禁止されても困るが、人ごとだと思って適当に忠告してくれる無責任な言葉に、目の前が真っ暗になる。日本にいる時は、アフリカの大平原を象やライオンの姿を横目に見ながら走ることを夢見ていた。しかし、いざ目の前にそんなシーンがあるとなると足がすくんでしまう。ナミビアにもそれなりに野生動物はいるようだったが、道路の両脇にはずっとフェンスが張ってあって、動物が道路に入ってこないようになっていた。無論このフェンスは、僕たちみたいな奴らを動物から守るものではなく、動物たちを車から守るために作られたものだろう。ボツワナに入ってまず気づいたことが、このフェンスが無いことだった。もはやこうなると、僕たちは巨大なサファリパークのなかを自転車で進むようなものなのである。
 
“えーい、こうなったらヤケクソじゃ。象でもライオンでもかかってきやがれ!大和魂を見せてやろうじゃないか!”と胸のポケットに果物ナイフを忍ばせた。
いざ走り出すと遠くに見える枯れ草が風でなびくたびに、それらがライオンの鬣(たてがみ)に見え、背筋が凍る思いをする。普段は下を向いて自転車をこぐ僕も、このときばかりは周囲を凝視し、不穏な周囲の気配に敏感に反応していた。
 
最近完成したというボツワナの快適な道を西へと進む。牛が群れを成し、ふてぶてしく道路を横切る。人間より動物の数の方が圧倒的に多いこの国では、牛の群れが道路を渡り始めると、車ですら牛が道路を渡り終わるのを待つしかない。クラクションを鳴らされても、咳も慌てもせず、マイペースで道路を渡る牛たちには完全にお手上げである。道路を横切る牛たちに、自転車で近づいて行こうものなら、牛たちは道路上に立ち止まり「なんやねん。お前。何か文句あるんか?」というような目でにらまれる。ボツワナに入ってしばらくは牛たちの群れを見ながら、のどかなサバンナの景色の中を走っていった。しかし、のどかな雰囲気ではなくなってしまったのが、NATAという町を越えたときのことだった。
 
NATAの町を出ると200kmの無人区間に差しかかる。その区間に差しかかったとき、まず牛たちの姿を見かけなくなったことに気づいた。そして、無臭のサバンナの中を走っていたのが、急に動物園のなかにいるかのような独特の臭気を感じるようになった。このとき“はっ!”と牛のような家畜は、ワイルドアニマルとは同じエリアに共存しないことに気づき、緊張が走った。ビクビクしながらも進み、道路の真ん中に巨大な糞を見つけたところで、僕たちは立ち止まった。
 
“これ・・・どう考えても象の糞やろ・・・”と誠司に話かける。
 
「ああ、しかもこの糞、出されてからそんなに時間経ってないな。まだみずみずしいで。」
 
“・・・。俺は、別に怖くないけど、お前は怖いのか?”といつも通り誠司をからかってみる。いつもの彼なら「お前の方こそびびってるんやろ。俺は怖くないわい。」と返事が返ってくるはずだが、返事が返ってこない。次の瞬間、誠司の顔を見ると、今までに見たことのない青ざめた顔をし、大声を発した。
 
「・・・って・・・って、い、言うか・・・ま、前におるし!!!」
 
“えっ!”
 
「ま、前見てみろ!!!」

 
“えっ!?”何も見当たらないので、誠司が何を言ってるのかわからなかった。
 
「あ、あの木のところ!!!」誠司が指差す進行方向左前の木をよく見ると、皆既日食のごとく木の裏側にすっぽりと隠れてしまっている象の姿を認識した。
 
“うゎゎゎゎゎゎーーーーー。でかいっ!!!”
象までの距離、約15メートル。葉と葉の間から見える象の肌のしわが鮮明に目に飛び込んでくる。上の方に目をやると、葉と葉の間から象さんのかわいいお目々がこっちを見ている。象と見つめ合いビクビクしながら、心の中でいろんなことを象に話しかけた。
 
“この辺で野生の象の写真を取ろうとして象に近づき、踏み潰されたヨーロッパ人がいたという話を聞きましたが・・・僕たちは決して怪しいのものではありません。もし、差し支えなければ、あなたの横を通り抜けさせて頂いてもいいでしょうか?さらに贅沢を言わせて頂くと、遠くからで結構なので一枚だけ写真を取らせて頂きたいのですが・・・”
 
車ならまだしも、自転車に乗った変な奴らを目にして不審に思ったのか、木の裏に潜んでいた象が急に巨体を動かし出した。
 
“うゎゎゎゎゎーーーーーー”
 
「バキッバキッ」と象はあちこちの枝を折り倒し、茂みの中へと逃げていった。その音にびびり上がった僕たちも猛ダッシュでペダルをこぎ逃げ出した。
ペダルをこぎ出してすぐに、
“いや、ちょっと待てよ!?象が僕たちから逃げてるんだから、僕たちは逃げる必要ないんじゃないか?!”
冷静になり自転車を止め、象が逃げていった茂みの方を見てみると、姿こそ見えなかったが象が木の枝を倒しながら茂みの奥に逃げていく音だけが聞こえていた。
 
初めて野生の象に出会ったこの日、幾度となく象の姿を見て、幾度となく茂みのなかを歩く象の音を聞いた。200kmの無人区間。僕たちのペースならどんなにがんばっても2日はかかる。しかし、こんなところでの野宿は冗談じゃない。その辺にテントを貼って象に踏み潰されるのも嫌だし、かといって一夜を明かすために木に登り、象に見つかって象の鼻でツンツンされるのも嫌だ。そんなことを考えていると、丁度100km地点に高いフェンスで囲まれた政府が管理している小さな施設(おそらく森林や動物保護の政府施設)があった。藁(わら)をもつかむ想いでその敷地内に入っていくと、一人の男が応対してくれ、すんなりこの敷地内にテントを貼らせてもらえることになった。彼は、2年前にこの敷地から10キロほど離れたところで、ライオンに襲われて大怪我を負ったスウェーデン人サイクリストのことを執拗に語ってくれた。日が沈むと、高さ3メートルほどのフェンスで囲まれたこの政府の施設のゲートは、厳重にロックされた。夜は頻繁に象やライオンなどが施設の周りをウロウロしているからということだった。僕たちは、仮に象がフェンスまでやってきて鼻を振り回しても、鼻のリーチ!?が届かないだろうと思われる場所にテントを貼った。象がフェンス越しに長い鼻を振り回し、テントにぶつけられたれたら洒落にならない。
 
“お前、象見たとき、泣きそうな顔してたな。”
 
「お前こそ、俺より先に逃げたやろ。」
テントで横になり、今日出会った象のことを誠司と話していると、フェンスの向こう側の暗闇から「バキッバキッ、バキッバキッ」と象が枝を折りながら歩く音が聞こえてくる。静寂な森の地面を通じて象の足音が伝わってきそうだった。子供の頃からテレビで見ることしかないだろうと思っていた憧れのアフリカの野生王国。その世界の中に今、僕たちは身を置き、人間の小ささを認識しながら弱々しい身体を大地に横たえている。
 
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